参議院選挙が終了しました。国民生活が非常に苦しく、経済成長は無いのに物価高と社会保障費だけは上がっていく現状で、現在の対する不満が非常に高まっています。
どこを向いているのかわからない今の政治家にぜひ見習ってほしいのが「管仲」ですね。
管仲とは
管仲とは、中国の春秋時代初期の斉の国の宰相を務めた人物です。
春秋五覇(諸説あって、どの5人かもしくは5人以上いますが)のうち、間違いなく覇者と言えるのが、斉の桓公、晋の文公です。
この斉の桓公を覇者にしたのが管仲の業績になります。また三国志で有名な諸葛亮孔明が尊敬した人物としても知られています。
宰相就任まで
管仲という人物を知る上で、忘れてはならないのが、鮑叔という人物です。有名な管鮑の交わりとはこの二人の絆を表しています。管仲は「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑叔なり」と語り、鮑叔との友情を生涯大切にしたと言われています。この鮑叔との繋がりが、後の大きな転換点となります。個人的には、鮑叔という人物も私は大好きです。
もともと、斉の桓公(公子小白)に仕えていたのは鮑叔です。管仲は公子糾に仕えていました。ここで斉の国で後継者争いが勃発します。
釐公(桓公の父親)が没すると、長男の諸児(しょげい)が14代斉王として後を継ぎ、襄公と名乗るようになります。この襄公が公孫無知という人物によって殺されてしまいます。公孫無知もその後殺されました。そこで、跡継ぎとして公子小白と公子糾のどちらか迎えようという話になりました。
管仲は桓公(公子小白)を阻止するために襲撃を行います。そして矢が桓公に当たったのを確認し、悠々と公子糾と共に斉の都に入りました。しかし、矢は桓公の腹当てに当たったため。一命をとりとめた桓公は先に入城して、即位していました。斉の桓公の誕生です。
近隣の魯の国に亡命した公子糾と管仲ですが、斉の国が魯を攻めたため、公子糾と管仲は引き渡されました。公子糾は処罰されましたが、管仲は許されました。鮑叔が「斉の国を統治されるだけなら私で十分ですが、天下の覇者を望まれるなら、管仲の補佐が必要です」と桓公を説得したため、管仲は許されることになりました。
そうして管仲の政治思想を聞いた桓公は管仲を宰相に任命します。
管仲の施策
管仲の施策で有名なのは「衣食足りて礼節を知る」です。ごくごく当たり前の思想ですが、これを何千年前に実行していたことに驚きます。
管仲が行ったのは、農業の奨励、漁業の振興、塩などの経済活動、物価安定策、税制や兵制の整備などです。鮑叔も管仲のもとで補佐を行いました。農民や漁民の生活を安定させることによって、働ける環境を作りました。こうして産業が活発化することで、経済が成長します。そうすると商人も集まってきて、経済活動はますます活発になっていきます。今ではごくごく当たり前の富国政策ですが、当時としては画期的な試みだったのではないでしょうか。
こうして国が豊かになった斉の国は当然のように軍事力も高めていきます。いわゆる富国強兵です。
天下の覇者へ
この時代、まだ中央集権化は行われていません。周の王室が諸侯の上に立ち、中華をまとめていましたしかしこの時代になると周王室の権威が揺らいで諸侯は好き勝手に動いている状況でした。
斉も度々軍事行動を起こしていますが、管仲は力で相手をねじ伏せるのではなく、信頼される手を用いて、周辺国を同盟下においていきます。
ある時桓公は、魯の国に攻め込み降伏に追い込み領土割譲を約束させます。しかし講和条約の調印の際、隙をつかれた桓公は相手国の家臣に刃物を突き付けられて条件を反故にされてしまいます。怒った桓公は後にこれを覆そうとしますが、管仲に止められます。脅迫されたとはいえ、約束を破るのは良くないということです。これによって、斉の桓公の声望は高まり信用されるようになっていきます。
またある時、隣国の燕が異民族に攻め込まれた際に桓公は援軍に向かいました。異民族を駆逐し、斉に帰国する際に事件は起こりました。燕の壮公は国境まで見送りに来たのですが、間違って国境を越えてしまいました。この頃の慣例では、国境を越えて見送らせていいのは天子だけと決まっていたようです。そこで管仲は壮公が入ったところまで、斉の国境を譲るように進言します。
こうして諸国の信頼を勝ち取った斉は多くの小国を同盟下におき、天下の安定に寄与していくようになりました。
桓公の最期
管仲自身は、桓公を助け、斉の国を豊かにし、天下の安定に寄与して死んでいくことになります。
桓公は、能力的に優秀だったのか、そうでもなかったのかわかりませんが、管仲存命時は、その進言を聞き入れ、耳に痛い諫言も聞き入れ善政を行ってきました。
しかし、管仲死後は、管仲が遣ってはならないと忠告していた臣下を重用していくようになります。そのため、桓公が病死したのち、激しい後継者争いが行われました。死体を放置された桓公の遺体は腐ってウジがわき、激しく腐乱していたということです。
こうして、斉の国は国力を落とし、次の晋の文公が覇者となっていきます。
管仲没後のこの混乱を思うと、いかに管仲が優秀だったのかわかります。
今の政治に思うこと
管仲が行ったことは、何も難しいことではありません。当たり前のことになります。
国民を富ませることがその国の国力になるということを、今の政治家の方々はよくよく考えていただきたいですね。
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