最近、高槻市にある今城塚古墳に行ってきました。この古墳跡は公園になっていて、普通に入ることができます。近くには今城塚古代歴史館もあります。
古代の天皇陛下の古墳と伝承されているものは立入りができません、なので、世界遺産になっている百舌鳥・古市古墳群などはは天皇陛下の墓ということで、発掘ができません。ちなみに正確にはどれがどの天皇陛下の墓というのは怪しいものがあります。この今城塚古墳もそうです。
今城塚古墳と継体天皇
今城塚古墳は現在、継体天皇の墓であった可能性が高いと言われています。しかし、現在公式には茨木市にある太田茶臼山古墳が継体天皇の墓であるとされています。ですので、今城塚古墳には普通に立ち入ることができます。この継体天皇ですが、出自、名前からして歴史的にはかなり面白い存在だと思っています。
万世一系
今上陛下の今まで、天皇は万世一系と言われています。初代の神武天皇からずっと続いているということですが、最初の天皇からしばらくは、寿命がありえない長さになっていて、あやふやな部分が正直あります。そして、この継体天皇ですが、応神天皇の5代の孫と言われていて、その血脈が怪しい部分もあります。
その前の武烈天皇には、子孫がなくこの継体天皇に白羽の矢が立ったわけです。ちなみに武烈天皇には残忍なエピソードが多いのですが、このエピソードが古代中国の王や皇帝の残忍なエピソードと被る部分が多く、この辺にも恣意的な要素を感じてしまいます。
即位まで
このころの大和王権は奈良盆地を中心地としていました。しかし、継体天皇は越前国(今の福井県)あたりの出身と言われています。古代では越と言われていた地域です。ここから実際に即位するまで、紆余曲折があり、都も奈良ではないところで即位しています。実際に奈良に入ったのは晩年近くになっています。ちなみにこの継体天皇からは今の今上陛下まで血脈が繋がっているのは確実だと思われます。
武烈天皇のエピソードを考えると中国の王朝交代の理屈に近いものがあり、ここで王朝が交代したとい説もあながち間違ってはいないような気がします。
古墳の調査
今現在、墓ということで古代の古墳の調査ができなくなっています。色々と考え方はあるかもしれませんが、歴史を知るというのはロマンです。古墳の調査によって、新たな古代史の幕が開けるかもしれません。天皇が万世一系でなかったからと言って、尊敬の念が無くなるということは無いと思います。何とか古代の歴史の解明のため、古墳の調査ができるような道筋及び方法が発見されるといいですね。

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